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名古屋地方裁判所 昭和54年(ワ)988号 判決 1983年1月31日

原告 株式会社十五屋

被告 合資会社十五屋洋品店

主文

一  被告は、別紙第二目録(1)記載の標章を被告店舗店頭の正面看板、被告のフレンドサービス券の裏面、領収書およびレシートに、同目録(2)記載の標章を被告の包装袋および包装箱に、同目録(3)記載の標章を被告の正札および包装袋に、同目録(4)記載の標章を被告店舗店頭の螢光灯看板に、同目録(5)記載の標章を被告の正札および包装袋に、同目録(6)記載の標章を被告の包装紙および領収書およびフレンドサービス券の表面に、同目録(7)記載の標章を被告の領収書、商品券に、同目録(8)記載の標章をレシートに、それぞれ使用してはならない。

二  被告は、前項記載の各箇所に表示されている別紙第二目録(1)ないし(8)記載の各標章を、それぞれ抹消せよ。

三  被告は、原告に対し、金三五三万一四六七円およびこれに対する昭和五六年一一月一九日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

四  原告のその余の請求をすべて棄却する。

五  訴訟費用は、これを一〇分し、その九を原告の、その余を被告の負担とする。

六  この判決は、三項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告は、「十五屋」の標章を店頭の看板、フレンドサービスのサービス券、商品券およびレシートに、「JUGOYA」の標章を店頭の看板、正札、領収書、包装紙、包装袋および包装箱に使用してはならない。

2  被告は店頭看板の「十五屋」および「JUGOYA」の、フレンドサービスのサービス券、商品券およびレシートの「十五屋」の、正札、領収書、包装紙、包装袋、包装箱の「GUGOYA」の各文字記載部分をいずれも抹消せよ。

3  被告は、「合資会社十五屋洋品店」の商号を使用してはならない。

4  被告は、岐阜地方法務局昭和三二年七月二六日受付をもつてなした被告の設立登記中、「合資会社十五屋洋品店」の商号の抹消登記手続をせよ。

5  被告は、原告に対し、八八二八万四一五七円およびこれに対する五六年一一月一九日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

6  訴訟費用は、被告の負担とする。

7  仮執行の宣言

二  被告

1  原告の請求をすべて棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  原告の請求原因

1  原告会社の概要

原告は、昭和二二年三月三一日、商号を「株式会社十五屋」として設立された婦人服ならびに附属雑貨の製作および販売等を業とする会社であり、その前身は、戦前からの個人商店としての「十五屋」で、婦人服・洋品を売る老舗として古くから広く知られている。

2  被告会社の概要

被告は、岐阜地方法務局昭和三二年七月二六日受付をもつて、商号を「合資会社十五屋洋品店」として設立された会社で、婦人服の販売を主たる業としている。

3  商標法にもとづく請求

(一) 原告の代表取締役である訴外加藤徳彦は、個人で、昭和二六年一一月二八日、指定商品を第三六類被服、手巾、釦鈕および装身用ピンの類として、別紙第一目録記載の商標の登録を出願し、右商標は、昭和二七年八月二〇日公告され、同年一二月一五日、登録番号第四一九五三六号で登録された(以下、右商標を「本件登録商標」といい、その権利を「本件商標権」という。)。

(二) 原告は、昭和四七年五月二〇日、本件商標権を訴外加藤徳彦から譲り受け、同年一一月二七日、右権利移転の登録がなされた。

(三) 右商標権は有効に存続期間の更新がなされ(最近では、昭和四九年三月八日に更新登録がなされた。)、原告は現在本件商標権を有している。

(四) 被告は婦人服の販売について、店頭看板に「十五屋」「JUGOYA」の各標章を、フレンドサービスのサービス券・商品券およびレシートに「十五屋」の標章を、正札・領収書・包装紙・包装袋および包装箱に「JUGOYA」の標章をそれぞれ附し、右各標章を商標として使用している。

(五) 被告の販売している婦人服は原告の本件登録商標の指定商品の被服に含まれるものである。

そして、被告が原告の本件登録商標の指定商品の販売について使用している右「十五屋」「JUGOYA」の各標章は、本件登録商標といずれも呼称、観念が同一であり、「十五屋」の標章は外観も類似しているから、被告の右各標章の使用は、商標法(以下「法」という。)三七条の類似商標の使用に該当し、原告の商標権を侵害しているので、原告は同法三六条により被告に対しその使用の差止を請求する。

(六) 被告が昭和五一年五月頃から右各標章を使用していたので、原告は被告に対し、同年同月四日、右各標章の使用の差止を書面で請求し、右書面はその頃被告に到達した。しかるに被告は、故意または過失により、その後現在に至るも右各標章の使用を継続して、原告の本件商標権を侵害しつづけている。

(七) 原告は、被告の侵害行為により、本件登録商標の使用に対し、通常受けるべき金銭の額に相当する額の損害を受けたというべきところ(法三八条二項)、右通常受けるべき金銭の額は、商標の使用料相当額であり、被告の本件各標章の使用のような態様の場合の使用料は商品の販売価格の五パーセントを下らないところ、被告の昭和五一年六月一日から昭和五六年一一月一七日までの販売総額は、次のとおり、一七億六五六八万三一四三円となるから、右金員に右使用料率五パーセントを乗じた八八二八万四一五七円が被告の侵害行為により原告が右期間内に蒙つた損害である。

その内訳は、次のとおりである。

(1) 昭和五一年六月一日から同年一一月三〇日までの販売額は、一億六九一六万九五九二円である。すなわち、昭和五〇年一二月一日から昭和五一年一一月三〇日までの製品商品総売上高(販売額)は三億三七五一万四九四四円なので、昭和五一年六月一日から同年一一月三〇日までの販売額は、次式のとおり、右記金額となる。

(算式) 337,514,944×183/365=169,169,592

(2) 昭和五一年一二月一日から昭和五二年一一月三〇日までの販売額は、二億七二六二万八三九二円である。

(3) 昭和五二年一二月一日から昭和五三年一一月三〇日までの販売額は、三億〇五四〇万四二三六円である。

(4) 昭和五三年一二月一日から昭和五四年一一月三〇日までの販売額は、三億三一二一万一一四三円である。

(5) 昭和五四年一二月一日から昭和五五年一一月三〇日までの販売額は、三億四九八六万五四六〇円である。

(6) 昭和五五年一二月一日から昭和五六年一一月一七日までの販売額は、三億三七四〇万四三二〇円である。すなわち、

昭和五四年一二月一日から昭和五五年一一月三〇日までの販売額は、三億四九八六万五四六〇円なので、昭和五五年一二月一日から昭和五六年一一月三〇日までの一年間も同額の売上高をあげうるものと考えてよく、この割合で、昭和五五年一二月一日から昭和五六年一一月一七日までの販売額を計算すると、次式のとおり、右記金額になる。

(算式) 349,865,460×352/365=337,404,320

(7) 以上、(1)ないし(6)を合計して昭和五一年六月一日から昭和五六年一一月一七日までの総販売額を求めると、前述したとおり、一七億六五六八万三一四三円となる。

(八) よつて、原告は、被告に対し、本件商標権にもとづいて、法三六条により請求の趣旨1、2項記載の被告の各標章使用の差止とその抹消、法三八条二項により請求の趣旨5項記載のとおり八八二八万四一五七円の損害賠償およびこれに対する昭和五六年一一月一九日から支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

4  不正競争防止法にもとづく請求

(一) 原告は、戦前の個人商店時代から今日に至るまで、「十五屋」といわれて親しまれ、高級婦人服等を売る老舗として、東海地方はもちろんのこと全国的にも業界および需要者の間に広く知られている。

被告が設立された昭和三二年七月二六日以前にすでに婦人服専門店として東海地方はもちろんのこと、全国的にも業界および需要者の間に広く知られていたことはもちろんである。

(二) 被告の使用する「合資会社十五屋洋品店」の商号は、原告の商号である「株式会社十五屋」とその主要部分において外観、呼称、観念が同一であるから、被告の商号は原告の商号に類似するものというべきである。

(三) 原被告とも婦人服の販売を主たる業としているので、被告が右商号を使用する行為は、被告の営業上の施設または活動が原告のそれらであるかのように、一般顧客に誤認混同を生ぜしむるおそれが大である。

(四) 原告は、高級婦人服を扱う店として広く知られており、被告が前記商号を使つて婦人服を売り、原告の営業施設、営業活動と混同されることによつて、原告の営業上の利益が害されるおそれがある。

(五) よつて、原告は、被告に対し、不正競争防止法(以下「不防法」という。)一条一項二号にもとづいて、請求の趣旨3、4項記載の商号使用の差止めと商号登記の抹消登記手続を求める。

二  請求原因に対する被告の認否

1  請求原因1項の事実は不知。

2  同2項の事実は認める。

3  同3項(一)の事実は認める。

同3項(二)、(三)の事実は不知。

同3項(四)の事実中、被告の店頭看板に「十五屋」「JUGOYA」の、フレンドサービスのサービス券、商品券、レシートに「十五屋」の、正札、領収書、包装紙、包装袋および包装箱に「JUGOYA」の各表示がなされていることは認めるが、右各表示が商標であることは否認する。

右「十五屋」および「JUGOYA」は、いずれも被告の販売店名もしくは商号であつて、商標ではない。すなわち、被告が販売する婦人服はすべて他社から仕入れた既製服であるが、右既製服のレツテル、ラベルには、すべてメーカーの商標が付されており、被告の前記表示は付されていない。したがつて被告が、商品の正札、包装袋、包装箱等に「十五屋」もしくは「JUGOYA」の表示を使用しても、被告の使用する右各表示は、前記メーカーの商標のような商品の出所表示の機能を有せず、いずれも被告の屋号もしくは商号というべきである。けだし、

もし、正札等に付した右各表示も商標だとすると、一個の商品に二個の異なる出所表示(商標)があることになり、極めて不合理な結果となる。

同3項(五)の事実中、被告の販売する婦人服が原告主張の指定商品に含まれることは認めるが、その余の事実および主張は争う。

被告が使用している「JUGOYA」なる表示は、その発音が本件登録商標と同一であるというのみであり、法二条一項に定める標章の定義―文字、図形もしくは記号もしくはこれらの結合または、これらと色彩との結合―のいかなる点からしても、本件登録商標と異なつているから、本件登録商標との間に類似性は存在しない。

同3項(六)の事実中、被告が原告からその主張の日頃、その主張のとおりの内容を有する書面を受領したことは認めるが、その余は否認する。

同3項(七)の事実は否認し、法律上の主張は争う。

4  同4項の事実中、原被告がともに婦人服の販売を主たる業としていることおよび原告の商号が株式会社十五屋であり被告の商号が「合資会社十五屋洋品店」であることは認めるが、その余は否認する。

原告は、昭和二二年三月三一日設立された株式会社であるが、商号登記簿によれば、当時の資本金は一五万円で、昭和二四年六月には六〇万円に、昭和三三年四月には二四〇万円に、同年一〇月には四五〇万円に、昭和四六年三月には八五〇万円に、同年四月には一八〇〇万円に、昭和四八年九月には三〇〇〇万円に逐次増額されている。

また原告会社は、設立当初暫くの間は主として外人向け陶磁器の販売をしていたが、その後婦人服地、同洋品などの販売に転じた。業態は不特定多数の店頭顧客に対する現金小売であり、当初は本店だけであつたが、その後名古屋駅前あるいは栄等に支店を設けるようになつた。その結果昭和四八年二月期には年間売上高が三億数千万円で無配であつたものが、昭和五〇年には一〇億円弱となり、最近では一七、八億円に達し、一割配当をしているとのことである。

したがつて、原告の右資本もしくは売上高の推移に照らすと、被告会社が設立された昭和三二年七月二六日当時原告会社名が東海地方はもとより名古屋市付近でも周知性を有していなかつたことは明らかである。

5  被告の主張

(一) 法二六条一項に基づく反論

本件登録商標は、旧商標法(大正一〇年法九九号、以下「旧法」という。)施行当時に登録されたものであるが、旧法一条二項は、「登録ヲ受クルコトヲ得ヘキ商標ハ文字図形若ハ記号又ハ其ノ結合ニシテ特別顕著ナルモノナルコトヲ要ス」と規定しており、商標が登録されるためには特別顕著性を備えたものであることが必要であつたが、このことは法においても特別顕著なる文字は使用されていないものの受継がれておる(法三条一項および四条一項を参照)。

ところで、本件登録商標は、以前名古屋市栄町角に近い広小路にあつて呉服洋品等を販売し、名古屋では松坂屋につぐ著名な商店であつた十一屋(現在の百貨店株式会社丸栄)の商号と、古来日本人の耳目に親しい十五夜の名前から原告代表者が考案したものと推測されるが、本件登録商標には特別顕著性がなく、現に名古屋市内においても、「十五屋」は炉端焼、飲食店、菓子店、化粧品店、ふとん店が各一店合計五店が存在するうえ、「十五夜」は喫茶店、バー各一店計二店存在している。

このように本件登録商標である「十五屋」は、名称において特別顕著性がないばかりでなく、文字も普通の書体で表示されていて特別顕著性がない。

したがつて、本件登録商標は、本来ならば、特別顕著性がないということで旧法でも法でも前記規定、特に法三条一項四号により登録を受けられなかつたはずのものである。

ところで、法二六条一項(旧法八条)は、本来登録が許されない筈の商標が誤つて登録された場合に無効審判手続によらずに第三者の権利を保護するためにもうけられた、商標権の効力を制限するための規定であり、同条は同法三条一項四号、四条一項八号に反する過誤登録に対する第三者救済規定であるから、二六条一項所定の「自己の氏名若しくは名称」とはフルネームに限られず、個人の名称については氏のみの場合も含まれ、法人特に会社の名称については、会社の正式の商号中、「株式会社」、「合資会社」などの部分を省略した名称も含まれると解すべきである。

したがつて、仮に被告が使用する「十五屋」もしくは「JUGOYA」なる表示が原告主張のとおり本件登録商標と類似の標章に該当するとしても、被告は自己の氏名もしくは名称を普通に用いられる方法で表示しているにすぎないから、法二六条一項の規定により原告の本件商標権を侵害することにはならない。

(二) 法五〇条によれば、商標権者は指定商品につき登録商標を使用すべき義務があるところ、原告は、被服等を指定商品とする本件登録商標を全く使用せず、風呂敷を指定商品とする商標(甲一五六号証の三)や「JUGOYA」「15」なる標章のみを使用している。

したがつて、仮に被告が使用する「十五屋」もしくは「JUGOYA」なる表示が原告主張のとおり本件登録商標と類似の標章に該当するとしても、全く使用しない本件商標権に基づき、被告の使用する右表示の差止を求めることは権利の濫用である。

(三) 法五一条によれば、商標権者は故意に登録商標と類似の商標を使用して他人の業務にかかる商品と混同を生ぜしめてはならない旨の登録商標正当使用義務があるところ、原告は、故意に本件登録商標に類似する「十五屋」「JUGOYA」「15」なる標章を使用して、同じ表示を付している被告の販売商品と混同を生ぜしめている。

したがつて、仮に被告が使用する「十五屋」もしくは「JUGOYA」なる表示が原告主張のとおり本件登録商標と類似の標章に該当するとしても、商標正当使用義務に違反する本件商標権に基づき、被告の使用する右表示の差止を求めることは権利の濫用である。

(四) 原告会社は、昭和二二年三月一日に設立登記されたものであり、その当時の目的は、登記簿上(一)食料品雑貨ならびに陶磁器の小売業但し官庁の許可を要するものは除く(二)右に付帯する一切の業務と記載されていたところ、昭和三三年一一月二一日、右目的を、(一)婦人高級服装品ならびに付属雑貨の製作および販売(二)洋装に関する各種商品の製作修理ならびに販売(三)貴金属、宝石、新古美術品の販売(四)美容室、喫茶および軽食堂の経営ならびに食料品小売(五)前各号に付帯する一切の事業と変更し、同月二四日にその旨登記した。

ところで、会社は定款所定の目的の範囲内においてのみ権利能力を有する(民法四三条)にすぎないところ、仮に原告がその主張するとおり、原告会社設立当時から婦人服装品等の製作、販売を業としてなしていたとしても、前記登記事項変更前の会社の目的に照らせば、右営業は会社の権利能力の範囲外のものであることは明らかであるから、原告の右営業は、法律上は原告の営業ということができず、原告が婦人服装品等の製作、販売を始めたのは、法律的には前記変更登記手続がなされた昭和三三年一一月二四日以降と解すべきである。

また、仮に会社が権利能力の範囲外の行為をも法律上有効になしうるとしても、商法一四、一五条によれば、会社はその登記事項に変更を生じたときは遅滞なく変更登記をなすことを要し、故意または過失によりこれをなさないときは、変更後の事項について第三者に対抗することができないから、原告は右営業をもつて善意である被告に対抗できない。

(五) 仮に原告の主張するとおり、被告が被告の商号を使用することが不防法一条一項二号に該当するとしても、被告には同法二条一項三号もしくは四号に該当する事由が存するから、被告は被告の商号を使用することができる。すなわち、

被告の前代表社員宮崎宇一(現代表社員宮崎三郎の父)は、昭和八年頃、「十五屋」なる屋号で古着等の行商と露店商を始め、戦時中は一時中断したものの、昭和二一年五月には営業を再開し、当時は古着を主とした行商をしていたが、昭和二四年九月に現在の被告本店所在地である岐阜県神田町六丁目一三番地の土地を購入し、その頃、同所で十五屋の屋号で洋品雑貨店を開店した。

被告は、昭和三二年七月二六日に「合資会社十五屋洋品店」として設立登記されたものであるが、その実態は、右宇一の個人営業を合資会社に改組し、かつ、右「十五屋」の屋号を受継いだのである。

そして、被告は、右会社設立当時はもちろんのこと、その後長らく原告の存在を知らなかつたが、原告から昭和五一年五月に前記標章差止めの書面を受領し、初めて原告の存在を知つたものである。

してみると、被告は、原告会社の商号が周知される以前に「十五屋」なる商号を使用していた宮崎宇一から右商号と営業を引継いだのであるから、不防法二条一項三号もしくは四号により現商号を使用することができる。

三  被告の主張に対する原告の反論

1  被告は、本件登録商標は特別顕著性がなく登録要件を備えていない旨主張するが、本件登録商標が特別顕著性を有し、登録要件を備えていたからこそ登録されたのである。このことは、「十三夜」「十字屋」「十五夜」という商標が現に登録されていること、原告は昭和三三年に指定商品を「風呂敷」として「十五屋」なる商標の登録申請をし、さらに昭和三六年に指定商品を「紙類、文房具類」として「十五屋」なる商標の登録申請をしたが、これらがいずれも登録になつたこと等からして明らかである。

また仮に本件商標が被告主張のとおり特別顕著性がなく、本来ならば登録を受けることができないものであつたとしても、登録された以上、これを無効とするためには、法四六条の無効審判によらねばならず、これは、登録の日から五年を経過すると法四七条により除斥期間にかかつて無効審判の請求ができなくなる。過誤登録がされたとき、無効審判によらなくとも当然効力が生じない場合もあるが、これは、法二六条一項一号ないし三号のいずれかに該当する場合に限定されている。

2  原告代表者加藤徳彦個人が本件登録商標を考案したことは被告主張のとおりであるが、同人が本件登録商標を考案するにあたつて「十一屋」は参考になつていない。

すなわち、同人が個人商店を開業したのは昭和一五年一月であり、当時は慰問袋の製造、販売を業としていたところ、「十五屋」は「銃後屋」に通じ、また、「ナゴ屋」にも通じていること、字画が十五画であり、「十五」と「屋」を合わせて二四画となり、縁起がよいこと等から本件登録商標を考案したものである。

3  被告は、法二六条一項は、三条一項四号および四条一項八号に反する過誤登録に対する救済規定であるから、二六条一項所定の「自己の氏名若しくは名称」はフルネームに限られず、略称でもよい趣旨の主張をするが、法二六条一項は、四条一項八号に反する過誤登録のみを救済する規定であつて、三条一項四号を救済する規定ではないから、法二六条一項一号所定の「自己の氏名若しくは名称」はフルネームに限られるべきである。このことは、同号の文理上明らかであるばかりでなく、その立法の沿革からしても明白である。すなわち、旧法八条一項は、「商標権ノ限界」として「商標権ノ効力ハ普通ニ使用サレル方法ヲ以テ、自己ノ氏名名称若ハ商号……ニ及ハス」と規定し、その略称については、何ら規定されていなかつたため、旧法の解釈として、「氏名、名称、商号」の中に略称も含まれるか否か、含まれるとした場合著名な略称に限られるか否かが学説上の争いとなつた。新法二六条一項一号は、この点の解釈の争いをなくすため「氏名、名称」もしくは「これらの著名な略称」と規定し、明文を以つて、氏名、名称はフルネームでなければならず、その略称は、著名なものに限られることを明らかにしたのである。

したがつて、被告の使用している「十五屋」「JUGOYA」が、もし、被告の商号である「合資会社十五屋洋品店」の略称であるとしても、略称は、著名でなければ法二六条一項一号に該当しない。そして、被告の右略称が著名でないことは多言を要しない。

4  被告は、原告が本件登録商標を全く使用していない旨主張するが、原告は指定商品である被服の販売について、看板、包装紙、包装袋等に本件登録商標を使用しているから、被告の右主張は失当である。

もつとも原告が看板に使用している商標(乙一九号証)と本件登録商標とは、その書体が若干異なり、また原告が包装紙、包装袋等に使用している商標(甲一八二ないし一八六号証)と本件登録商標とは、その書体および配列(たて書がよこ書)が少し異なつているが、法五〇条所定の登録商標の使用とは、物理的に登録商標と全く同一の標章の使用のみを指すものではなく、社会通念上登録商標と同一と目される標章の使用をも包含すると解されるところ、本件登録商標と比較して前記程度異なる標章は、社会通念上本件登録商標と同一と目すべきであるから、原告が看板等に右標章を使用することは、本件登録商標の使用というべきである。

したがつて、原告には法五〇条所定の取消事由は存在しない。

5  被告は、原告が法五一条所定の商標正当使用義務に違反する旨主張するが、原告は、被告よりはるか以前から「十五屋」もしくは「JUGOYA」の標章を使用してきたのであるから、原告に原被告の商品を混同させる故意が存しないことは明らかである。

なお、原告は、本件登録商標の連合商標として商公五六―五三九二〇号(甲一八九号証)、商公昭五六―五三九二三号(甲一九〇号証)を出願し、公告されている。

6  右5、6で主張したとおり原告に法五〇条、五一条所定の取消事由が存在しないことは明らかであるが、そもそも法五〇条、五一条違反の主張は、右各条文所定の審判請求によらなければならないのであるから、右審判請求によらないで、法五〇条、五一条違反を理由に、権利濫用の主張をすることは許されず、被告の右主張はそれ自体失当である。

7  被告は、仮に原告が設立当時から婦人服装品等の製作、販売をしてきたとしても、営業目的が変更された昭和三三年一一月二一日までは、右営業は権利能力の範囲外のものであるから、法律上は原告の営業ということはできない旨主張するが、原告の設立当時の目的である「雑貨」には婦人服装品が含まれるから、原告が権利能力外の営業をなしたことにはならないのみならず、仮に右「雑貨」に婦人服装品が含まれず、婦人服装品の販売が会社の目的から逸脱していたとしても、婦人服装品の販売はあくまで原告の営業行為であり、法人の行為として有効であると解すべきであるから、被告の前記主張は失当である。

なお、原告が昭和三三年一一月二一日、被告主張のとおり営業目的を変更したことは認めるが、原告が右時点で営業目的を変更したのは、その時から婦人服装品および付属雑貨の製作、販売を始めたからではなく、定款の記載を設立当時から行つてきた営業の実態に合わせ、正確にするためである。

さらに、被告は、商法一四条、一五条の規定に照らし、定款変更後の営業目的に含まれる営業を被告に対抗できない旨主張するが、商法一四条、一五条の規定は登記の記載を信頼して取引をなした善意の第三者を保護する規定であり、本件のような不防法一条一項二号該当性の存否について適用する余地はないから、被告の右主張も失当である。

8  被告に不防法二条一項三号もしくは四号所定の事由の存在することは否認する。

また不防法二条一項三号所定の「自己の氏名」とは、自然人の氏名であつて法人の商号を含まないと解すべきであるから、法人である被告が右二条一項三号所定の事由を主張することは主張自体理由がないこと明らかである。

第三証拠<省略>

理由

一  商標法上の請求について

1  原告の代表取締役である加藤徳彦が昭和二七年一二月二五日、個人で本件商標権を取得したことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲五号証によれば、右加藤徳彦は、昭和四七年五月二〇日、原告に対し、本件商標権を譲渡し、同年一一月二七日、その旨の登録を受けたことが認められる。

2(一)  被告が昭和三二年七月二六日設立登記された会社であり、婦人服の販売を主たる業とするものであることおよび被告が、店頭看板に「十五屋」「JUGOYA」の各標章を、フレンドサービスと題するサービス券、商品券、レシートに「十五屋」の標章を、正札、領収書、包装紙、包装袋、包装箱に「JUGOYA」の標章をそれぞれ付していることは、当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲二〇ないし二四号証、二五号証の一、二、二六ないし二九号証、一七九ないし一八一号証、原告主張のとおりの写真であることについて当事者間に争いのない甲一一ないし一五号証、証人加藤和豊の証言、被告代表者本人尋問の結果によれば、被告は、被告店舗店頭の正面看板に別紙第二目録(1)の表示を、螢光灯看板に同目録(4)記載の各表示を、被告方で婦人服を購入した消費者に対して交付するレシートに同目録(1)または(8)記載の表示を、「フレンドサービス」と題するサービス券の表面に同目録(6)記載の表示、右券の裏面に同目録(1)記載の表示を、包装袋に同目録(2)、(3)または(5)記載の各表示を、包装箱に同目録(2)記載の表示を、正札に同目録(3)または(5)記載の各表示を、包装紙に同目録(6)記載の表示を、領収書に同目録(1)、(6)または(7)記載の各表示を、被告の発行する商品券に同目録(7)記載の表示を、それぞれ付していること(以下、第二目録(1)ないし(8)記載の表示を「イ号標章」という。)、以上の事実が認められ、これに反する証拠はない。

(二)  ところで、法二条一項は、「この法律で『商標』とは、文字、図形若しくは記号若しくはこれらの結合又はこれらと色彩との結合(以下「標章」という。)であつて、業として商品を生産し加工し証明し又は譲渡する者がその商品について使用するものをいう」と規定し、同条三項は、「この法律で標章について『使用』とは、次に掲げる行為をいう。一 商品又は商品の包装に標章を附する行為 二 商品又は商品の包装に標章を附したものを譲渡し引き渡し譲渡若しくは引渡のために展示し又は輸入する行為 三 商品に関する広告、定価表又は取引書類に標章を附して展示し、又は頒布する行為」と規定している。

右各規定に照らすと看板、商品券、サービス券を除くその余のイ号標章は、法二条一項の標章に該当し、被告がこれらイ号標章を付する行為は同条三項にいう標章の使用に該当することは明らかである。

そこで、店頭正面看板、店頭螢光灯看板、商品券、サービス券にイ号標章を付する所為について考えるに、商品券は、被告商品の購入券であり、被告の商品そのものではないが、被告商品を購入しうる権利が化体されたものであり、その意味において、商品券は同条にいう商品に包含されると解するのが相当である。してみると、商品券にイ号標章を付することは、同条三項一号にいう標章の使用にあたり、したがつて、商品券に付されたイ号標章は商標に該当すると解すべきである。

つぎに、サービス券は、前掲甲二五号証の一、二によれば、被告商品を五〇〇〇円以上購入した者に対し交付される抽せん券であることが認められ、商品そのものではないが、被告商品購入者に対し、再度の購入を動機づけさせる目的を有することは明らかであるから、商品に対する広告的色彩を帯有していることは否定できず、したがつて、右サービス券は同条三項三号の「商品に関する広告」にあたると解するのが相当である。

してみると、右サービス券にイ号標章を付することは、同条三項三号所定の標章の使用に該当し、したがつて、また右サービス券に付されたイ号標章は商標に該当すると解すべきである。

つぎに、店頭正面看板および店頭螢光灯看板にイ号標章を付する所為について考えるに、旧法下では、このような所為が標章の使用にあたるか否かについては、講学上説が分れていたが、旧法下においても、「商標は、商品を表彰するものであるから、表彰の方法は直接的であると間接的であるとを問わず、その効用は同じであり、商品との具体的関係において使用されたものである限りは、商標の使用というべきである。」との見解が存していた。当裁判所は、旧法下における右見解は旧法の解釈として正当と考えるが、前記新法の各規定の解釈についても、右の理は妥当すると考える。

そして、被告店舗の前記各看板に表示されているイ号標章は、一面において営業標識と見ることができるが、他面、被告商品の陳列、販売箇所の表示の意味も帯有しており、同条三項三号所定の「商品に関する広告」に該当すると解するのが相当である。してみると、前記各店頭看板にイ号標章を付することは、同条三項三号所定の標章の使用に該当し、したがつて、店頭看板に付されたイ号標章は商標に該当すると解すべきである。

以上の説示に反する被告の主張は採用できない。

3  次に、本件登録商標と被告の使用する各イ号標章を比較するに、本件登録商標と右各標章とは、いずれも、称呼が同一であり、(1)(7)(8)のイ号標章は、外観も類似しているから、本件登録商標とイ号標章とはいずれも類似の関係にあると認められる。

右に反する被告の主張は採用できない。

4  本件登録商標の指定商品が第三六類被服、手巾、釦鈕および装身用ピンの類であることは当事者間に争いがなく、被告がイ号各標章を付した婦人服が右指定商品の被服に該当することは明らかである。

5  以上1ないし4によれば、被告がイ号標章を使用することは、被告に右各標章を使用すべき正当な事由の存しない限り、原告の本件商標権を侵害することになる。

よつて、以下この点に関する被告の主張の当否について検討する。

(一)  法二六条一項一号該当性について

法二六条一項は、旧法八条一項の改正規定であるが、旧法八条一項と異なり、原告主張の旧法下の講学上の争いを解決するため、法二六条一項一号に、商標権の及ばない範囲を「氏名若しくは名称」または「これらの著名な略称」と明定したのである。

したがつて以上の立法の経緯および法二六条一項一号の規定の文言に照らすと、同号中の「自己の氏名若しくは名称」とは、いわゆるフルネームに限られると解すべきである。

ところで、被告の使用するイ号標章が被告の商号のフルネームでないことは明らかである。

してみると、被告の使用するイ号標章は、いずれも法二六条一項一号所定の「自己の氏名若しくは名称」に該当しないことは明らかである。

右説示に反する被告の主張は採用できない。

(二)  原告に法五〇条、五一条所定の本件登録商標の不使用ないし不正使用の所為の存否について、原告店舗の看板の写真であることについて当事者間に争いがない乙一九号証原告代表者本人尋問の結果により成立を認めうる甲五七号証、弁論の全趣旨により成立を認めうる甲五五、五六、五八、五九号証、一八二号証ないし一八六号証によれば、原告は、本件登録商標を、広告、看板、包装袋、包装箱に使用していることが認められる。もつとも、右甲一八二ないし一八六号証、乙一九号証によれば、包装袋、包装箱は、「十五屋」と横書になつており、字体も若干相違していること、看板の字体も若干相違していることが認められるが、右程度の相違は、社会通念上本件登録商標を同一と認められるから、本件登録商標使用の右認定の妨げとはなし難い。

つぎに、成立に争いのない乙一一号証、一二号証の一、二、一三号証、一四号証の一、二、一六ないし一八号証によれば、原告は、その領収書、正札、レシート、サービスカード、包装袋、包装箱等に「15」の数字と「JUGOYA」を組み合わせた標章を使用していることが認められるが、成立に争いのない甲一八九号証によれば、これらは原告が連合商標として昭和五六年出願公告ずみのものであることが認められる。

したがつて、原告に、法五一条所定の不正使用があるとは認められない。

本件全証拠によるも、前記認定をくつがえし、被告主張事実を維持するに足りる証拠は存しない。

してみると、原告に法五〇条、五一条所定事由が存在することを前提とする被告の主張は、もとより採用の限りではない。

6  以上説示したところによれば、先に認定した被告のイ号標章の使用は、原告の本件商標権を侵害するものであるから、本件商標権に基づく差止および除去請求は、すべて理由がある。

7  よつて進んで法三八条二項に基づく原告の請求の当否について判断する。

(一)  原告主張の日時に、原告が被告に対し書面を以つてイ号標章の差止を求める要求をなしたが、被告は、これに応ぜず、現在に至つていることは当事者間に争いがないから、右書面到達後の被告の侵害行為については、過失があつたと認められる。

そして、本件登録商標につき、これを使用する権原を有しない被告が、原告の許諾なしに、本件登録商標を侵害するイ号標章を使用するときは、特段の事情なき限り、原告は、被告に対し、法三八条二項所定の実施料相当額を請求しうることは明らかであり、本件については、右特段の事由の在したことを認めるに足りる証拠は存しない。

(二)  よつて進んで、実施料相当額について考える。

証人加藤和豊の証言、右証言により成立を認めうる甲一七八号証の一ないし七、原告代表者本人尋問の結果、右尋問の結果により成立を認めうる甲一六一、一六二号証、被告代表者本人尋問の結果、右尋問の結果により成立を認めうる乙二二号証の一ないし五五によれば、次の事実が認められる。

(1) 原告は、肩書住所地(名古屋市中区錦三丁目)に本店を有する高級婦人服および婦人洋品を製造、販売する専門店であり、本店店舗は極めて豪華に作られており、一、二階において、クロエをはじめとするデザイナーのプレタ商品やハンドバツク、アクセサリー等を販売し、一階奥にはクリスチヤン・デイオールのフランチヤイズ・ブテイツクが設けられていること、原告は、昭和五一年当時までに、名古屋駅前毎日会館一階、名古屋駅前メルサ四階、栄地下名店街、栄メルサに各支店を有し、右以降昭和五六年一一月までに春日井市の西武シヨツピングセンター、栄セントラルパークに支店を有するようになつたこと、原告の本店昭和五六年当時の商品価額の一例を示すと、クロエのドレスなどで輸入品は五〇ないし六〇万円を中心に一〇〇万円以上のものもあり、ライセンスものは通常一七ないし一八万円位で、夏物は一〇万円、ブラウスは七ないし八万円である。

(2) 被告は、肩書住所地(岐阜市神田町)に本店を有する婦人服専門の販売店であり、昭和四〇年には岐阜市柳ケ瀬に、昭和五七年には玉腰シヨツピングセンター内に各支店を設けたこと、被告は、昭和三二年に設立された会社であるが、設立以来現在まで高級婦人服専門店を指向したことは一度もなく、現在まで一貫して一般大衆既製婦人服を販売してきた。

(3) 原告は、既製婦人服を問屋を通して仕入れることを原則としているが、下請店に客からの注文服の製造もやらせている。下請に発注した婦人服に対してはすべて自社の商標だけを付し、問屋から仕入れた既製婦人服にはメーカーの商標と自社の商標を付している。他方、被告は、販売する商品をすべて他社から仕入れているが、その商品にはメーカーの商標も付されている。

(4) 原告は、前記のとおり既製服の販売のみならず、注文仕立にも応じているが、被告は注文仕立はやらず、既製服の販売だけをなしている。原被告はともに店頭販売だけであり、行商をしたり、各家庭等を回つて注文をとるようなことはない。

(5) 原告は、本件登録商標に関し、他に専用実施権または通常実施権を設定したことは一度もない。

(三)  以上認定の事実によれば、被告のイ号標章使用行為に起因して、原告の顧客が被告店舗の商品を原告の商品と誤認混同するおそれは、殆んどないと認められ、右認定の趣旨に反する原告代表者本人尋問の結果部分および、右尋問の結果により成立を認めうる甲一六九号証の記載部分はたやすく信用できない。

また被告のイ号標章が、本件登録商標に類似していることに起因して被告の販売高が増加し、あるいは原告の販売高が減少したことを認めるに足りる的確な証拠はない。これら事実のほか、本件で顕われた諸般の事情を総合すると、法三八条二項所定の本件登録商標の通常実施料相当額は、本件イ号標章を使用した商品の総販売価額の〇・二パーセントと認めるのが相当である。

もつとも、前掲証人加藤和豊の証言により真正に成立したものと認められる甲一七三号証によれば、株式会社アルフアー・キユービツクがイブサンローランS・A・R・Lに対し、同社の有する商標権の使用料等として販売した商品の売上高の一〇パーセントを支払つていることを認めることができるが、右はフランスのみならず世界でも有名な企業の有する商標権に対する通常実施料であることに照らすと、右事例の存在は、前記認定を左右するに足りる資料とはなし難い。

また加藤証人の証言中「本件登録商標の通常実施料は販売した商品の総売上高の五パーセントが相当である」旨の供述部分は、これを裏付ける適格な証拠なく、にわかに措信し難く、他に前記認定をくつがえすに足りる証拠はない。

そこで、前記原告の差止要求書到達の後である昭和五一年六月一日から、昭和五六年一一月一七日までに被告が販売した婦人服の総販売高を求めるに、成立につき争いのない乙九、一〇号証の各一、二、乙二三、二四号証によれば、

(1) 昭和五一年六月一日から同年一一月三〇日までの総販売価額は、昭和五〇年一二月一日から昭和五一年一一月三〇日までの総売上高が三億三七五一万四九四四円であるから、次の計算のとおり、一億六九二一万九八二一円となる。

3億3,751万4,944×183/365=1億6,921万9,821

(2) 昭和五一年一二月一日から昭和五二年一一月三〇日までの総販売価額は、二億七二六二万八三九二円である。

(3) 昭和五二年一二月一日から昭和五三年一一月三〇日までの総販売価額は、三億〇五四〇万四二三六円である。

(4) 昭和五三年一二月一日から昭和五四年一一月三〇日までの総販売価額は、三億三一二一万一一四三円である。

(5) 昭和五四年一二月一日から昭和五五年一一月三〇日までの総販売価額は、三億四九八六万五四六〇円である。

(6) 昭和五五年一二月一日から昭和五六年一一月一七日までの総販売価額は、右期間中の販売価額が前年度の販売実績を下ることはないと推認されるから、前年度の販売実績に照らし、次の計算のとおり、三億三七四〇万四四九八円と推認される。

3億4,986万5,460×352/365=3億3,740万4,498

以上の事実が認められ、これに反する証拠はない。

したがつて、右事実によれば、昭和五一年六月一日から昭和五六年一一月一七日までの被告の総販売価額は、(1)ないし(6)の合計である一七億六五七三万三五五〇円となる。

(四)  以上、右(一)、(二)によれば、右期間中の通常実施料相当の損害金は、次の計算のとおり、三五三万一四六七円となる。

17億6,573万3,550×2/1000=353万1,467.1

(五)  してみると、商標法三八条二項に基づき、通常実施料相当の損害金を求める請求は、三五三万一四六七円および前記期間後である昭和五六年一一月一九日から支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を求める限度で理由があり、その余は失当として棄却されるべきである。

二  不正競争防止法上の請求について

1  原告の商号が株式会社十五屋であること、被告の商号が合資会社十五屋洋品店であることは当事者間に争いなく、両者は、その主要部をなす「十五屋」なる文言につき、外観、称呼、観念において、同一であるから、被告の商号は、原告の商号に類似していることは明らかである。

そこで、先づ、原告の営業標章であり商号の略称である十五屋の周知性の存否ないし周知性取得の時期について以下検討する。

成立および原本の存在につき争いのない乙四ないし六号証、前掲甲一六一、一六二号証、一七八号証の一ないし七、原告代表者本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲四六号証、四九ないし五六号証、五八ないし六〇号証、八三ないし八五号証、八七ないし九八号証、一二三、一二八、一三六、一三七号証、一四六ないし一四八号証、一五〇ないし一五五号証、一六六、一六七号証、原告代表者本人尋問の結果によりその成立および原本の存在を認めうる甲六一ないし七〇号証の各一、二、原告代表者本人尋問の結果により原告主張どうりの写真であることが認められる甲三一ないし四五号証、四七、四八号証、七一ないし八二号証、九九号証、一二五ないし一二七号証、一三八号証の一ないし九、一六四号証の一、二ならびに原告代表者本人尋問の結果、被告代表者本人尋問の結果により成立を認めうる乙二一号証の一ないし五、証人加藤和豊の証言、右証言により成立を認めうる甲一七五号証、一七六号証、一七七号証の一ないし八を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  原告成立の経緯および営業活動の概要

昭和一五年一月

原告会社の代表取締役加藤徳彦は名古屋市中区鉄砲町一の一で個人商店「十五屋」を開業した。当時は慰問袋の製造販売を業としていた。

昭和一九年

空襲激化と共に用水池設置のため店舗の移転を要請され、名古屋市中区南大津通一―一(栄町交差点南角)に移転した。当時は、釣具販売や瓶缶詰の食料品販売をしていた。

昭和二〇年一二月

広小路通り栄交差点近くの現本店所在地にスレート瓦葺の新店舗を建て、進駐軍スーベニアシヨツプ、楽焼、ジユラルミン製鍋釜の販売、婦人用品の販売、タバコ切手収入印紙の販売など多種の営業を行つたが、その中で婦人用品の売れ行きが多かつた。

昭和二二年三月三一日

資本金一五万円、代表取締役を加藤徳彦とし、婦人服並びに附属雑貨の製作及び販売等を業とする株式会社十五屋が設立され、加藤徳彦の個人商店「十五屋」の営業を承継した。

昭和二六年七月

広小路まつり協讃、名古屋タイムズ企画の初代ミス広小路に原告の店員牧野泰子が選出された。

昭和二八年一一月

婦人下着の宣伝普及のため「装いの調べ」と題するスチール映画を作成し、愛知県内の映画館で上映した。

昭和二九年七月

ミス広小路に原告店員の浜島節子が選出され、さらに加藤社長の奨めで店の客柴田綾子がミス名古屋に応募して選出された。

昭和二九年一一月

アートフアツシヨン「美の幻想」の撮影ロケを栄町の原告店舗で行い、浜島、柴田両嬢も出演し、東宝系映画館で上映された。

昭和三一年四月

名古屋駅前毎日会館一階に第一号支店を出店し、右支店は翌三二年四月他の一六店と共同して、中日特選店を結成した。

昭和三三年四月から八月まで

社長加藤徳彦は渡仏、欧州一円を視察してた。が、これを機会に高級既製婦人服専門店としての道を進むことになつた。

昭和三三年一一月

栄本店を鉄筋ビルに新築し、新築開店に際しては、東京から当時有名なフアツシヨンモデルの入江美樹、松本ひろ子、芳村真理も参加して、店内フアツシヨンシヨーを開催した。

(なお、これより先昭和三〇年一二月ごろから名古屋タイムズ、中部日本新聞、朝日新聞等に原告の広告記事を掲載するようになつた)。

昭和三五年八月

原告代表者は名古屋栄町商店会の副会長に就任した。

昭和四一年二月

クリスチヤンデイオールと十五屋オリジナルの春物プレタポルテコレクシヨンをパリ式に本店二階モードサロンで開催した。

同年九月

パリアニーローズ社と提携しプライダルサロンを栄本店二階に新設し、記念のコレクシヨンを観光ホテルで開催した。

昭和四二年六月

名古屋駅前のメルサ四階に第二号支店として五〇余坪の売場を出店した。

昭和四四年一一月

サカエ地下名店街へ出店。

昭和四八年一二月

栄メルサに出店。

昭和四九年三月

サカエ地下店拡張。

昭和五〇年二月

流通部門の充実を計るため名古屋市東区東桜一―一〇―三〇に商品管理部を設置。

昭和五〇年三月

ロンドン、パリ、ローマに専属駐在員を置く。

同年同月

原告会社の創業三五周年記念式典が、名古屋観光ホテルで挙行された。

同年七月

栄メルサ店拡張。

昭和五一年三月

東京進出をはかるため、株式会社東京十五屋を、東京都渋谷区神宮前三―九―五を事務所として設立した。

同年六月

東京の一号店として、右東京十五屋の青山店を開店した。

昭和五二年六月

春日井市の西武シヨツピングセンターに原告会社の支店を出店。

同年七月

中区丸の内三―二一―六へ商品管理部を移転して拡充した。

同年一〇月

東京の第二号店として、玉川高島屋シヨツピングセンター南館(新館)へ東京十五屋の支店を出店。

昭和五三年四月

原告会社の本店にパリC・D(クリスチヤンデイオール)名古屋栄ブテイツクを開設した。

同年七月

原告会社の代表取締役加藤徳彦は、日仏、文化交流に尽した功績によつて、フランス政府からパルム、アカデミツク勲章が贈られ、シユバリエーに叙せられた。

同年九月

パリ、クリスチヤンデイオール社のデユエ社長が原告会社を訪問。

同年一一月

原告会社セントラルパーク店出店。

昭和五四年五月

デザイナー、カールラカフエルトを招き、クロエコレクシヨンをキヤツスルホテルで開催。

原告の加藤徳彦社長はそのころから我国におけるフアツシヨン界の先駆者として、新聞、雑誌等のフアツシヨン記事に掲載されたり、テレビに放映されたりするようになつた。

そして、昭和五四年五月現在原告は、本店以外にサカエ地下店、セントラルパーク店、栄メルサ店、メルサ店、毎日店、春日井店を有し、海外のパリ、ロンドン、ローマに専属駐在員を置き、関連会社の(株)東京十五屋の青山店、玉川店を有している。

(二)  原告会社の資本は、会社設立当時は一五万円であつたが、昭和二四年には六〇万円に、昭和三三年四月には二四〇万円に、同年一〇月には四五〇万円に、昭和四六年三月には八五〇万円に、同年四月には一八〇〇万円に、昭和四八年には三〇〇〇万円にそれぞれ増額された。

(三)  原告の設立後現在に至るまでの販売高の推移をみると、昭和二二年は約五二万円であつたが、昭和二四年には約二一二万円となり、以降昭和二五年は約三〇七万円、昭和二六年は約五一五万円、昭和二七年は約九五九万円、昭和二八年は約一三一〇万円、昭和二九年は約一五九〇万円、昭和三〇年は約一四九〇万円、昭和三一年は約一四四〇万円、昭和三二年は約二七〇〇万円、昭和三三年は約三〇四〇万円、昭和三四年は約三三九〇万円、昭和三五年は約五八二〇万円、昭和三六年は約七六八〇万円、昭和三七年は約一億一二五〇万円、昭和三八年は約一億二三九〇万円、昭和三九年は約一億二八一〇万円、昭和四〇年は一億三三五〇万円であり、その後逐年毎に増加し、昭和四五年は三億一〇〇〇万円、昭和五〇年は約一〇億円弱となり、昭和五五年に至り約一六億円となり、同年度の婦人既製服販売高ランキング全国六八位となつた。

(四)  昭和五六年一月五日付日経流通新聞には、「全国主要都市フアツシヨン一番店調査」と題する欄に名古屋市では原告が一番店である旨の記載があり、同年一月一九日付繊研新聞には、全国婦人服専門店ベスト一五中原告は五位を占めている旨の記載があり、同年一〇月号チヤネラー(フアツシヨンに関する情報誌)には、前記日経流通新聞と同趣旨の記事があり、同年八月一日発行の別冊チヤネラーには、原告の紹介記事が掲載されている。以上の事実が認められ、他にこれに反する証拠はない。

以上認定の原告設立の経緯、営業活動の概要、資本および販売高の推移、原告の宣伝活動、高級婦人服店としての専門誌の評価等を総合すると、原告の営業標章である「十五屋」が高級婦人服専門店として全国的に周知されるようになつたのは、昭和五〇年代に入つてからであり東海地方において、周知性を有するようになつたのは、昭和四〇年代に入り、世界的に高名なクリスチヤンデイオール等と提携するようになつてからであると推認するのが相当である。

そして、被告が設立された昭和三二年七月二六日当時は、原告代表者は、欧米の視察旅行にも行つておらず、名古屋栄町商店会の役員にさえ就任しておらず、全国的にはもちろんのこと東海地方においても、いまだ周知性を有するに至つていなかつたものというべきである。

右認定の趣旨に反する原告代表者本人尋問の結果、および右尋問の結果により、成立を認めうる甲一七〇号証の一ないし三九、一七一号証の一、二、一七二号証の一ないし六の記載部分は、たやすく信用し難く、他に前記認定をくつがえし、原告主張日時における周知性を認めるに足りる適格な証拠はない。

2  よつて進んで、被告の商号使用が同法二条一項四号所定の、善意使用者に該当するか否かについて判断する。

成立につき争いのない乙一ないし三号証、二五、二六号証、証人神谷一郎の証言、被告代表者本人尋問の結果によれば、

(一)  被告の前代表社員である訴外故宮崎宇一は、戦前から「十五屋」なる屋号で、古着の行商などをしていたが、戦時中は一時休業した。

(二)  右宇一は、戦後古着商の営業許可および行商鑑札をえて古着商をするとともに不動産の仲介をもするようになつた。同人は、昭和二四年現在の被告本店敷地を取得し、洋品雑貨店を開くとともに不動産の仲介業などをなしたが、当時の屋号も「十五屋」であつた。

(三)  被告は、昭和三二年七月二六日設立され、右宇一がその代表者になつたが、その際、宇一の個人営業全部を引き継ぐとともに、商号を宇一の屋号を用いて、「合資会社十五屋洋品店」と定めた。

(四)  右宇一は、個人で営業を始めてから会社設立に至るまで原告の存在もしくはその商号を知らなかつた。

以上の事実が認められ、これに反する証拠はない。右事実および先に認定した原告の商号の周知性取得時期を併せ考えると、被告は、自己の商号使用につき不正競業の意図は毛頭なく、不防法二条一項四号所定の善意使用者であることは明らかである。

してみると、その余の点について判断するまでもなく、原告の不防法一条一項二号に基づく請求は、すべて理由がないことになる。

三  以上の次第であるから、原告の本訴請求は、商標法上の請求のうち前記認定の限度で理由があるからこれを認容するが、その余はすべて失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担については民訴法八九条、九三条を、仮執行の宣言については同法一九六条をそれぞれ適用(ただし主文一、二項に付するのは相当でないから除く。)して主文のとおり判決する。

(裁判官 松本武 澤田経夫 加登屋健治)

第一目録

第二目録

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